現在の堅実な収入基盤を語るうえで、避けて通れないのが昭和の黄金期に築いた驚異的な実績です。TBS系「8時だョ!全員集合」が最高視聴率50.5%を記録し、フジテレビ系「ドリフ大爆笑」が国民的定番となった1970年代から1980年代にかけて、加藤茶 最高年収は当時の貨幣価値で2億円から3億円に達していたと証言されています。現在の貨幣価値や物価水準に換算すれば、実質10億円以上に相当する天文学的なスケールです。
当時、加藤茶が手にした加藤茶 全盛期 ギャラにまつわる逸話は枚挙にいとまがありません。自著や当時の回顧録において、本人は「毎月、紙袋や風呂敷にぎっしり詰まった札束を手渡しで受け取っていた」「数千万円単位の札束が自宅の押し入れに積み上げられていた」と生々しく告白しています。
しかし、その莫大な興行収入のすべてがメンバーに均等に渡っていたわけではありません。長年ファンの間でも議論の的となってきたのがドリフターズ ギャラ配分の構造です。
当時の所属事務所である渡辺プロダクションのマネジメント体制、そしてグループを統括していたリーダー・いかりや長介との契約形態は、極めて独特なものでした。かつて加藤茶本人がバラエティ番組でユーモアを交えて明かしたところによれば、グループ全体のギャラのうち、事務所の取り分を引いた残りのうち「いかりやさんが多くを取り、残りをメンバーで分けていた」とされています。具体的な比率としては「リーダーが全体の約半分を取り、残りの5割をメンバー4人で按分していた(加藤、仲本工事、高木ブー、志村けん)」という配分神話が広く知られています。
この配分に対しては若かりし頃のメンバー間で葛藤もあったとされますが、舞台の演出、台本の執筆、TBSや渡辺プロダクションとの過酷な政治的交渉をすべて一人で背負っていたいかりや長介の激務を考慮すれば、リーダーとしてのリスクプレミアムであったという見方が業界内での定説です。何より、リーダーの取り分が多かったとしても、加藤茶の手元に残る額だけで年間数億円規模にのぼっていた事実に変わりはありませんでした。