時計の針を2004年3月に戻す。アテネ五輪野球日本代表の監督として金メダル獲得に燃えていた最中、突如として病魔が彼を襲った。脳梗塞。一時は言葉を失い、右半身の自由を完全に奪われるという絶望的な状況だった。
そこから始まった歩みは、壮絶を極めた。過酷な医療・脳神経リハビリテーションの現場で、彼は担当医や理学療法士が舌を巻くほどの執念を見せる。「もう一度、グラウンドに立つ」「自分の足で歩き、ファンの前に出る」。その一心で、痛みに顔を歪めながらも毎日何時間もの訓練に耐え抜いた。
神経の再接続を促す反復訓練、麻痺した右腕に刺激を与え続ける地道なリハビリ。医学の常識を超えようとするその姿は、かつて泥にまみれて千本ノックを受けた現役時代そのものだった。歩行機能を取り戻し、明瞭な発声を取り戻していく過程は、脳神経医学の現場においても驚異的な回復事例として語り継がれている。