近年における三角縁神獣鏡の年代測定と最新研究の進展は、長年続いた文献解釈の堂々巡りに終止符を打ちつつあります。科学的実証の急先鋒となったのが、青銅に含まれる鉛の同位体比測定と、三次元デジタル計測による鋳型の損耗度解析です。
かつて泉屋博古館の樋口隆康氏らが進めた鉛同位体比分析では、三角縁神獣鏡の多くに中国産(華北や華南)の鉛鉱石が使われているとされ、「中国製」の根拠とされました。しかし、2020年代以降の高精度マルチコレクターICP質量分析計による再検証では、後漢鏡に使われた前漢・後漢期の鉛と、三角縁神獣鏡に使われた鉛とで明瞭な組成の違いが確認されています。列島内で手に入った古い中国鏡を溶かして再鋳造(改鋳)した痕跡や、三国時代の呉地域から流入した原料が混和している可能性が強く示唆されているのです。
また、景初三年銘 三角縁神獣鏡(島根県神原神社古墳出土、大阪府黄金塚古墳出土など)の存在は、長らく中国鏡説の金科玉条とされてきました。しかし、中国側の正史『三国志』の記述では、魏は景初三年(239年)正月元旦に年号を「正始」へと改元しています。卑弥呼の使者が魏の都に到着したのは同年6月以降であるため、「景初三年」という年号は改元を知らない、あるいは年号の概念に無頓着な列島側の人間、または亡命した工人が後年に刻んだとする疑義が拭えません。
さらに、国立歴史民俗博物館による炭素14年代測定や年輪年代学の進展によって、黒塚古墳や箸墓古墳を含む初期前方後円墳の築造時期が「3世紀末から4世紀初頭」へ絞り込まれつつあります。卑弥呼が死去した248年頃と、三角縁神獣鏡が古墳へ副葬される時期との間には半世紀近い開きがあり、「卑弥呼が手に入れた鏡をそのまま埋葬した」と考えるには不自然なタイムラグが生じているのです。