1909年10月26日午前9時すぎ、満洲(現在の中国東北部)のハルビン駅は異様な熱気と厳戒態勢に包まれていました。ロシアの蔵相ウラジーミル・ココツェフとの極秘会談に臨むため、特別列車で駅に到着した伊藤博文を迎えたのは、ロシア軍儀仗兵の敬礼と軍楽隊の演奏でした。
当時、枢密院議長を務めていた伊藤は享年68。初代韓国統監を退いた直後であり、日露関係の再構築と満洲を巡る権益調整という国家の命運を握る外交ミッションの途上でした。歓迎式典が終わり、ロシア側要人とともに列車の方向へ歩みを進めたその瞬間、群衆の中から飛び出した凶漢が至近距離から連射を開始します。
駅構内に響き渡った銃声は計7発。そのうち伊藤の体には3発が吸い込まれ、随行していた森泰二郎秘書官、室田義文貴族院議員、川上俊彦総領事の3名も負傷する大惨事となりました。銃撃直後にロシア兵によって取り押さえられた犯人こそが、大韓帝国の独立運動組織に属していた安重根でした。