事件性の有無を判断するため、遺体は東京大学医学部法医学教室へと移送され、名法医学者として知られた支倉登教授の執刀による司法解剖が実施されました。
解剖の結果、死因は「急性覚醒剤中毒による肺水腫」と断定されました。肺水腫とは、肺胞に血液中の液体成分が染み出して満たされ、重度の呼吸不全を引き起こして溺水と同じ状態に陥る致死的な病態です。解剖時、尾崎の肺は通常の数倍近くにまで水を含んで肥大化しており、気道には大量の泡沫状の液体が充満していたと報告されています。
さらに世間を驚愕させたのは、体内から検出された覚醒剤(メタンフェタミン)の濃度でした。その数値は一般的な致死濃度を大幅に上回るレベルであり、経口摂取(飲み込む形)で体内に入った形跡が胃の内容物検査などから判明しました。
この解剖結果は、新たな謎を生むことになりました。尾崎豊は1987年に覚醒剤取締法違反で逮捕された経歴がありましたが、当時はすでに薬物を断ち切っていたと信じられていたためです。また、「なぜこれほど大量の覚醒剤を一度に摂取したのか」「自らの意思で飲んだのか、あるいは第三者によって無理やり飲まされたのか」という経緯については、決定的な証拠が得られないまま、捜査当局は「事件性なし(自殺または事故死)」として処理を終結させました。