1453年4月初頭、弱冠21歳のオスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世が率いる10万を超える大軍がコンスタンティノープルを包囲しました。迎え撃つビザンツ帝国の防衛兵力は、傭兵や義勇兵を含めてもわずか7000〜8000人程度。圧倒的な兵力差の中で、世界史に残るコンスタンティノープル攻防戦の幕が上がりました。
メフメト2世は、これまでの攻城戦の常識を覆す兵器を投入します。ハンガリー人の技術者ウルバンが鋳造したウルバンの巨砲(大型カノン砲)です。重量500キロを超える巨石を1キロ以上先まで打ち出すこの大砲は、千年間傷一つ付かなかったテオドシウスの城壁を激しく揺るがし、着実に崩していきました。
さらにオスマン軍を勝利へ導いたのが、前代未聞の「船の山越え」作戦でした。金角湾の入り口に張られた巨大な鎖に阻まれ、海からの攻撃が封じられていたオスマン艦隊。これに対しメフメト2世は、陸上に油を塗った丸太を敷き詰め、一晩で約70隻の軍艦を丘(ガラタの丘)を越えて金角湾の内側へ運び込む奇策を決行したのです。海側からも防衛を強いられることになったビザンツ軍は、限られた兵力を分散せざるを得なくなりました。
そして1453年5月29日未明、オスマン軍の総攻撃が開始されます。最後の皇帝コンスタンティノス11世は自ら剣を取り、前線で名誉ある戦死を遂げました。ここに、古代ローマから数えて約2000年続いたローマ帝国の血脈は完全に途絶え、コンスタンティノープルの陥落によって中世世界は終わりを告げたのです。