宗教的思想運動の用語であった「八紘一宇」が、国家全体を覆う標語へと変貌を遂げたのは、1940年(昭和15年)のことです。この年は初代神武天皇の即位から2600年にあたるとされた「紀元二千六百年」にあたり、全国で大規模な奉祝行事が挙行されていました。
当時の第2次近衛文麿内閣は、同年7月26日に閣議決定された「基本国策要綱」の冒頭において、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き…」と明記しました。これにより、一私人の造語であった言葉が、突如として大日本帝国の公式な基本理念として公認されることになります。
時を同じくして提唱されたのが「大東亜共栄圏」の構想です。欧米列強の植民地支配からアジア諸民族を解放し、日本を盟主とする共存共栄のブロックを築くという大義名分のもと、「八紘一宇」はその精神的支柱として学校教育、報道、軍の標語に徹底して刷り込まれました。しかし実態としては、泥沼化する日中戦争や太平洋戦争における国民の戦意高揚と、アジア各地への軍事進出を正当化するための便利なプロパガンダとして機能した側面は否定できません。