六道珍皇寺を語る上で欠かせない中心人物が、平安時代前期の貴族・歌人であり、学者としても異才を放った小野篁です。文武両道に秀で、身長六尺二寸(約188cm)の大男であったと伝わる篁は、公卿として朝廷に仕える昼の顔の裏で、「夜な夜な井戸から冥府へ降り、閻魔大王の裁きを補佐していた」という常軌を逸した伝説が『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』に記されています。
本堂裏の庭園に佇むのが、篁が冥界へ通うために飛び込んだとされる「冥土通いの井戸」です。苔むした庭の奥、木枠に囲まれた漆黒の開口部は、昼間でも底が見通せないほどの幽玄な佇まいを見せています。さらに2011年、かつて寺の敷地であった隣接地に残されていたもう一つの井戸が買い戻され、篁が朝廷へ戻る際に使用したとされる「黄泉がえりの井戸」として約半世紀ぶりに境内に組み戻されました。往路と復路という二つの結節点が揃ったことで、冥界往還伝説は現代において再び完全な形を取り戻したといえます。
境内の閻魔堂(篁堂)格子窓を覗き込むと、運慶作と伝わる筋骨隆々たる巨躯の「閻魔大王坐像」と、静謐な佇まいで立つ「小野篁立像」が並び立っています。薄暗い堂内で黄金色に鈍く光る閻魔大王の瞋恚(しんい)の眼差しは、訪れる参拝者を圧倒します。なぜ一介の貴族にこのような伝説が仮託されたのか。史実における篁は、遣唐使の副使に任ぜられながらも大使・藤原常嗣との衝突により乗船を拒否し、時の嵯峨上皇の怒りを買って隠岐へ流罪となった反骨の知識人でした。権力に屈しない峻厳な正義感と、死生観を司る高い学識が、やがて「冥界の裁判官を指導できる唯一の賢人」という神話へと昇華していったと考えられています。