「三國連太郎の息子の佐藤浩市」「佐藤浩市の息子の寛一郎」。この言葉の重みは、当事者にしか分からない壮絶なプレッシャーを伴う。
三國連太郎と佐藤浩市の親子関係は、かつて決して平坦なものではなかった。現場での衝突や確執、そして互いを一人の役者として認め合うに至るまでのドラマは、昭和・平成の映画史における有名なエピソードだ。佐藤浩市自身、「三國の息子」と呼ばれる屈辱と戦いながら、自らの足で確固たる地位を築き上げてきた歴史がある。
寛一郎にとっても、その巨大な血脈は常に背中について回る。インタビューで彼は度々、「比べられるのは当然」と受け止めつつも、自分自身の表現を模索する苦悩を語っている。アナウンサーという噂が流れるほど世間の好奇心は絶えないが、本人は一歩一歩、地道に役者の階段を登り続けている。