坂東三津五郎が遺した光芒と大和屋の軌跡|闘病と魂を継ぐ現在

坂東三津五郎が遺した光芒と大和屋の軌跡|闘病と魂を継ぐ現在

坂東三津五郎が遺した光芒と大和屋の軌跡|闘病と魂を継ぐ現在にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

公私ともに注目を集めた十代目三津五郎の人生において、避けて通れないのが家庭生活を巡る激動のドラマです。三津五郎は生涯で2度の婚姻歴を持ち、その経緯は当時のメディアで連日トップニュースとして報道されました。

最初の妻は、元宝塚歌劇団雪組組長を務めた寿ひずる氏です。1983年に結婚し、長女の守田菜生氏、長男の守田光寿氏(現・坂東巳之助)、次女の守田悠佳氏という1男2女に恵まれました。寿ひずる氏はトップスターとしてのキャリアを退き、梨園の妻として夫と家を懸命に支えていましたが、1997年に離婚が成立します。この家庭環境の中で育った子供たちは、父の芸に対する崇高な姿勢を間近で見守りながら成長していきました。

その後、1998年に元フジテレビアナウンサーの近藤サト氏と再婚。知性派アナウンサーと歌舞伎界の名門貴公子の電撃婚は大きな話題を呼びましたが、わずか1年7カ月後の2000年にスピード離婚に至りました。公に語られた離婚理由の根底には、歌舞伎界という極めて特殊な「家」制度の壁が存在していました。

当時、近藤氏はメディアの取材や手記において、梨園独特の慣習や「跡継ぎを産むこと」「夫を陰から支える裏方に徹すること」を絶対視する価値観と、自らのキャリアや独立した個人としてのアイデンティティとの間で深い乖離があったことを明かしています。一方の三津五郎側も、坂東流家元としての責任と大和屋という一門の存続を背負う立場として、従来の「梨園の妻」像を求めざるを得ない構造的ジレンマを抱えていました。

【プロの結論】梨園の「家」制度と現代的自立がぶつかる境界線の力学

社会学や家族心理学の観点からこの離別を分析すると、個人の感情の破綻というよりは、「前近代的な家父長制規範」と「個人の心理的バウンダリー(自立の境界線)」の激突という構造的摩擦が見て取れます。昭和から平成にかけての梨園では、妻は「個」を完全に滅却し、夫と一門のために全方位で奉仕することが暗黙の了解とされていました。自立したプロフェッショナルとしての自己を確立していた女性がその環境に適応するためには、精神的な自己喪失を耐え忍ぶか、境界線を守るために離脱するかの二者択一を迫られた時代でした。この離婚劇は、歌舞伎界が近代的な個人の人権やジェンダー観とどのように向き合うべきかという、大きな問いを社会に投げかけた出来事だったといえます。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。