戊辰戦争のタブーとは?埋葬禁止令の真実と会津・長州150年の闇

戊辰戦争のタブーとは?埋葬禁止令の真実と会津・長州150年の闇

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日本の学校教育において、戊辰戦争は明治政府成立の通過点として簡潔に処理される傾向があります。しかし、その舞台裏に存在した生々しい権力闘争と不条理は、まさに教科書で教えない歴史の最たる例です。最大のタブーとされるのが、薩摩・長州を中心とする新政府軍が手にした正統性の脆弱さでした。

1868年1月の鳥羽・伏見の戦いにおいて、幕府軍を精神的に壊滅させた決定打は「錦の御旗」の登場でした。朝廷から官軍の証として下賜されたと喧伝されたこの旗ですが、実際には品川弥二郎や大久保利通らが薩摩藩邸で密かに京都の織物商に発注し、仕立て上げた錦の御旗の偽造疑惑が現代の歴史研究でも定説化しています。正式な勅許が下りる前に私的に製作された旗が戦場に翻った瞬間、前日まで幕府の忠臣であった会津藩主・松平容保は突如として「朝敵(国家の敵)」へと転落しました。

会津藩にとって、この理不尽な政治工作こそが150年以上続く怨嗟の原点でした。京都守護職として治安維持に命を捧げ、孝明天皇から絶大な信頼を寄せられていた会津藩が、政治クーデターによって一方的に賊軍の汚名を着せられたことへの激しい怒りは、単なる敗戦の無念を超えた「歴史の改竄に対する憤り」として語り継がれることになります。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。