菅直人内閣が発足して間もない2011年3月11日、観測史上最大規模の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故が発生しました。東日本大震災対応経緯における官邸の奮闘と混乱は、政権の命運を決定づける要因となります。
菅首相自らがヘリコプターで現地入りした初動対応や、専門家を交えた緊急対応チームの編成などは、後に国会事故調査委員会などの報告書で「現場への過度な介入が指揮系統を混乱させた」とする批判と、「未曾有の事態において民間事業者へのプレッシャーを保った」とする評価の双方がなされました。
さらに、震災復興の最中にもかかわらず党内抗争が激化します。自民党・公明党による不信任決議案の提出に同調する動きが民主党内(特に小沢一郎氏を支持するグループ)からも現れるなど、危機管理下での足並みの乱れが露呈しました。菅首相は「再生可能エネルギー特別措置法」の成立などを置き土産に退陣を表明します。
後を継いだ野田佳彦首相は、財政再建と社会保障の持続可能性を確保するため、自民・公明との間で「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」を締結し、消費税率を段階的に10%へ引き上げる法案を可決させました。しかし、この増税路線に強く反発した小沢氏ら約50名の議員が集団離党し、党は完全に空中分解状態に陥りました。2012年11月、国会党首討論での自民党・安倍晋三総裁との直接対決の末に衆議院解散を決断し、同年12月の総選挙で民主党は57議席へと激減、政権の座を追われました。