趣里のキャリアを語る上で避けて通れないのが、クラシックバレエの夢の途絶と過酷な怪我の経験です。彼女はわずか4歳から本格的なレッスンをスタートさせ、都内の名門バレエスクールで頭角を現していました。
「将来はプロのバレエダンサーとして生きていく」という強い決意のもと、15歳のときに本場イギリスの名門「アーツ・エデュケーショナル・スクール」へバレエ留学を果たします。日本の親元を離れ、言葉の壁を乗り越えながら異国の地でレッスンに明け暮れる日々を送っていました。しかし、留学先で過酷な運命が彼女を襲います。
練習中に足首の剥離骨折とアキレス腱断裂という、ダンサーにとって致命的ともいえる大怪我を負ってしまったのです。現地の医師から告げられたのは、「これ以上、以前のように踊ることは極めて難しい」という非情なドクターストップでした。
当時のインタビューや関係者の証言によると、高校中退を余儀なくされて帰国した趣里は、人生の目標を失い、自室に引きこもるほどの深い絶望を味わったといいます。そんな失意のどん底にあった彼女を救ったのが、父・水谷豊や母・伊藤蘭の温かな見守り、そして名演出家・塩屋俊が主宰する俳優養成所「アクターズクリニック」との出会いでした。
「身体の可動域に限界が生じても、心と感情を使って人間を表現することはできる」。バレエで培ったストイックな身体表現力と、挫折の痛みを深く知る感受性が、女優・趣里の強烈な原動力へと昇華された瞬間でした。