神田神保町 いもや 歴史の起点は、高度経済成長期の只中にあった昭和34年(1959年)に遡ります。界隈に集まる明大、日大、専修大などの苦学生や、古書店街で働く若者たちに「腹一杯、安くて旨い揚げものを食べさせたい」という創業者の信念から産声を上げました。
最盛期の神保町エリアには、天ぷら定食を主軸とする「てんぷら いもや」だけでなく、豪快にタレをくぐらせたいもや 天丼を提供する専門店、さらには分厚いカツを驚異的な低価格で出した「とんかつ いもや」など複数の系列店がひしめき、さながら「いもや村」の様相を呈していました。
看板であった天ぷらいもや メニューの代表格といえば、何と言ってもいもや 天ぷら定食です。注文が入ると、純白の調理服に身を包んだ職人が無言でタネに衣を纏わせ、澄んだ胡麻油の鍋へ投入します。海老、キス、イカ、カボチャ、海苔や大葉といった王道のタネが、サクサクとした黄金色の衣をまとって目の前のバットに次々と置かれる光景は、ひとつの完成された舞台劇のようでした。
山盛りの炊きたてご飯に、熱々のしじみの味噌汁、卓上に置かれた黄色いタクアンや大根の漬物は食べ放題。これらがワンコイン強から千円でお釣りが来る価格で提供されていたことは、当時の学生やサラリーマンにとって奇跡に近い救済でした。私語を控え、パチパチと油が跳ねる音に耳を澄ませながら一心不乱に天ぷらをかき込む――それこそが、神保町という街が共有していた「いもやの流儀」だったのです。