健康づくりの代名詞として定着した「1日1万歩」ですが、近年その科学的根拠を巡る議論が大きく前進しています。そもそも1万歩という数値の起源は、医学的なエビデンスに基づくものではなく、1965年に発売された初期の歩数計「万歩メーター」の販促キャッチコピーとして生み出されたマーケティング由来の数字でした。
この定説に一石を投じたのが、東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利博士が群馬県中之条町で20年以上にわたり5,000人以上の住民を追跡調査した、世界的にも著名な「中之条研究」です。この膨大なフィールドワークから明らかになったのは、1日1万歩歩きすぎ真相と、健康増進効果の頭打ち現象でした。
研究データによると、歩数が増えるにつれて動脈硬化や高血圧、糖尿病、認知症などの生活習慣病の発症リスクは顕著に低下するものの、その恩恵は1日8,000歩(そのうち中強度の速歩きが20分)でプラトー(頭打ち)に達します。8,000歩を超えて1万歩、1万2,000歩と歩数を積み上げても、疾患予防に関する健康リターンはほとんど上昇しません。
むしろ、筋力や関節の軟骨が減少し始める中高年以降において、無理に1万歩をノルマ化することは、膝関節症や股関節痛、足底腱膜炎、さらには過度な疲労による免疫力の低下を招くリスクを孕んでいます。これが8000歩と1万歩の違いを語る上で欠かせない運動医学的見解です。
国の行政指針にも変化が起きています。厚生労働省が策定した国民健康づくり運動「厚生労働省健康日本21歩数目標」の最新計画(健康日本21・第三次)では、非現実的な一律1万歩目標を掲げるのではなく、成人男性で8,000歩、成人女性で7,000歩、高齢者では6,000歩程度を日常生活における現実的かつ持続可能な目標値として設定しています。日本の公衆衛生は「歩数の多さ」から「歩行の質」を重視する方向へ完全に舵を切っています。