中国におけるドラえもんの受容史を語る上で欠かせないのが、複雑を極めたドラえもん中国語表記の変遷です。1980年代に香港や台湾経由で作品が流入した当初、現地では鈴の音を模した「小叮当(シャオディンダン)」や、その設定を直訳した「機器猫(ジーチーマオ:ロボット猫)」という名称で親しまれていました。
状況が一変したのは1990年代後半です。原作者である藤子・F・不二雄氏の「アジアの子どもたちにも、日本と同じ『ドラえもん』の音で呼んでほしい」という生前の強い願いを受け、著作権を管理する藤子・F・不二雄プロは、世界共通の音訳である「哆啦A夢(ドゥオラーエイモン)」への名称一本化を推進しました。しかし、この名称変更の隙を突く形で、現地企業による悪質な抜け駆け商標登録が相次ぐ事態となったのです。
最大の山場となったのが、長年にわたり繰り広げられた中国商標権侵害裁判でした。福建省の靴製造企業などが、かつての通称である「叮当猫」や類似のキャラクター図形を靴・衣服などのカテゴリーで勝手に商標登録し、巨額の利益を上げながら既得権を主張しました。藤子プロ側は「悪意ある出願であり、著作権を侵害している」として中国の商標評審委員会および裁判所へ提訴。裁判は北京市の人民法院から高級人民法院へと持ち越される泥沼の長期戦に発展しました。
最終的に北京市高級人民法院は、キャラクターの視覚的特徴や知名度を重視し、藤子プロ側の先行権利を認めて模倣商標の登録を取り消す判決を下しました。この勝訴は、中国国内における海外IP保護の歴史において極めて重要な判例となり、後の知財ビジネスにおける試金石となりました。