ウルトラスニッポンの原点は、Jリーグが開幕する前年の1992年にまで遡ります。当時、本場のヨーロッパや南米のフットボールカルチャー、特にイタリアの熱狂的な応援集団「Ultras(ウルトラス)」やイギリスのテラスカルチャーに強い衝撃を受けた植田朝日氏ら若者たちが結集したことが始まりでした。
彼らが日本サッカー史の表舞台で決定的な存在感を放ったのが、1993年10月28日にカタールで行われたアメリカW杯アジア最終予選、いわゆる「ドーハの悲劇」です。当時、現地のアル・アリ・スタジアムのスタンドには、日本から駆けつけたわずか数百人のサポーターが陣取っていました。イラク戦のロスタイムに同点ゴールを許し、ピッチ上に崩れ落ちる選手たちに対し、涙を呑みながら「ニッポンコール」を送り続けた彼らの姿は、テレビ中継を通じて日本全国のお茶の間に強烈なインパクトを与えました。
その後、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」(フランスW杯初出場決定)を経て、ウルトラスニッポンは名実ともに日本代表サポーターの最大派閥として定着します。コアメンバーには、ロックバンドのミュージシャン、デザイナー、学生、ストリートカルチャーの牽引者など多種多様なバックグラウンドを持つ若者が集まり、従来の「メガホンを叩いて整然と応援する」日本的な観戦スタイルを、「90分間飛び跳ねて歌い続ける情熱的な応援」へと根本から塗り替えました。