大災害の現場で最も過酷な試練を強いられるのは、発災後の暮らしです。避難所生活実態現在の追跡調査や被災者の手記・証言からは、従来の行政マニュアルでは想定しきれなかった生々しい現実が浮かび上がってきます。
輪島市や珠洲市の指定避難所となった小中学校の体育館では、元日の寒波が直撃する中、暖房設備が燃料枯渇により停止。当時の被災者手記には「床からの冷気が骨の芯まで染み込み、毛布2枚を重ねても震えが止まらなかった」「仮設トイレの設置が遅れ、ビニール袋を抱えて長蛇の列に並ぶ恥ずかしさと精神的苦痛は言葉にできない」という凄惨な告白が残されています。断水は数カ月にわたって続き、衛生環境の悪化からノロウイルスや新型コロナウイルスの集団感染も頻発しました。
特に深刻だったのが「災害関連死」の急増です。石川県内における災害関連死の認定数は、地震による直接死(圧死・窒息死など)の数を上回る勢いで増加しました。その背景には、高齢者が長期間にわたりプライバシーのない雑魚寝生活を強いられたことによる認知機能の低下、エコノミークラス症候群、持病薬の中断がありました。過酷な避難生活から抜け出すため、金沢市などへの二次避難が進められたものの、住み慣れた土地を離れることへの心理的葛藤やコミュニティの分断は、被災者に深い爪痕を残しました。