宇治茶の歴史を語る上で欠かせないのが、室町幕府三代将軍・足利義満による茶園の庇護です。義満が宇治の風土に優れた茶の育成を認め、特に優れた茶園として指定したのが「宇治七名園(森神、祝井、宇文字、川下、前坂、琵琶、奥の山)」でした。しかし、応仁の乱以降の動乱や明治の近代化、昭和の急速な宅地開発によって、そのほとんどが歴史の闇へと消え去り、現在は石碑が痕跡を留めるにすぎません。
その中で奇跡的に、当時の姿と命を保ち続けているのが、「堀井七茗園 奥の山茶園」です。宇治川を臨む小高い丘陵地、標高約70メートルの寒暖差と朝霧に恵まれたこの地で、堀井家は代々茶樹の命を繋いできました。茶園関係者の証言によると、園内には樹齢数百年を数える古木が今なお力強く新芽を吹き出し、人の手で丁寧に手摘みされています。
単に「古い」だけではありません。茶園の土壌は幾重にも重ねられた有機肥料と独自の剪定技術によって、過密な現代農法とは根本から異なる生命力を維持しています。600年を超える記憶を宿した土壌から生まれる茶葉は、窒素肥料に頼った安易な旨味とは一線を画す、澄み渡るような奥行きと高貴な香気(覆い香)を放つのです。