昭和史の闇として今なお語り継がれる女子高生コンクリート詰め殺人事件。その記録を紐解くと、裁判の過程で浮き彫りになった加害者たちの冷酷さと、当時の法律が抱えていた司法の「壁」が如実に浮かび上がる。主犯格とされた極めて過酷な加害者グループは、事件当時全員が未成年であった。彼らは刑罰を受けたものの、数年から十数年で刑期を終えて社会へと復帰した。その後の彼らの足取りや「現在」については、時折メディアで再犯や事件関与が報じられるたび、社会に激しい憤りと虚無感をもたらしてきた。
裁判の記録が残した禍根は、単に加害者の処遇にとどまらない。犠牲となった17歳の少女が被った筆舌に尽くしがたい苦痛と、出所後に日常生活を営む加害者たちの対比は、国民に「罰の適正さとは何か」を鋭く問いかけた。この事件は、日本の刑事司法における少年犯罪の取り扱いや被害者支援の在り方に決定的な変革を迫る引き金となり、その後の法改正へと続く大きな潮流を作り出したのである。