2010年代後半、彼女を取り巻く環境は決して平坦ではなかった。事務所との契約問題、それに伴うメディアからの事実上の「消失」。多くのタレントがこうした荒波に飲まれて消えていく中、彼女は日本を飛び出す選択をした。
渡った先は、ファッションの本場であるパリとミラノ、そして演技のメソッドを学ぶためのロサンゼルスだった。SNSでの発信は続けていたものの、日本の地上波テレビで見かけることはほとんどなくなった。しかし、その「空白の期間」こそが、彼女を真のグローバルアーティストへと脱皮させるための準備期間だったのだ。現地での地道なボイストレーニング、英語での演技レッスン、そして多様な文化に触れることで、彼女の表現力はより鋭く、深みを増していった。