中日ディンゴ電撃退団の真相と現在|シドニー五輪と星野監督の記憶

中日ディンゴ電撃退団の真相と現在|シドニー五輪と星野監督の記憶

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2000年の開幕前、中日ファンの期待は最高潮に達していました。前年1999年にミルウォーキー・ブルワーズで打率.309、21本塁打を記録し、オーストラリア出身選手として史上初めてMLBオールスターに選出された強打の捕手、デイビッド・ニルソンの獲得が発表されたためです。前年にセ・リーグを制覇し、連覇を目指す中日ドラゴンズにとって、まさにこれ以上ない大補強と目されていました。

しかし、開幕を迎えると歯車は狂い始めます。日本の投手陣が執拗に攻める外角低めの変化球と特有のストライクゾーンに苦しみ、快音は完全に途絶えました。出場18試合で打率.170、放った本塁打はわずか1本。首脳陣は外野手や一塁手としての起用を模索したものの、持病であった左肩の違和感も影響し、二軍落ちを余儀なくされます。

報道各社や当時の関係者の証言によると、彼が退団を決断した最大の要因は、開幕前から契約の最優先条項に盛り込まれていたシドニー五輪の存在でした。「二軍で漫然と日本の野球に適応する時間を過ごすよりも、代表チームに早期合流して母国のために身体を仕上げたい」というニルソン側の意向と、優勝争いの中で即戦力外国人を固定したい球団側の思惑が完全に衝突したのです。結果として、シーズン真っ只中の2000年6月21日、任意引退という形で電撃退団が発表されました。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。