日本全国が空前のボウリング旋風に沸いた昭和40年代。さわやかな笑顔で国民的スターとなった中山律子の活躍を契機に、日本プロボウリング協会の熱気とともに各地へボウリング場が誕生した。その渦中にあって、運営母体であるイースタンスポーツが展開した拠点のひとつがこの地だった。週末になれば家族連れや若者がレーンを埋め尽くし、乾いたピンの音が絶え間なく響き渡る日常がそこにあった。
しかし、ブームの沈静化とともに多くの施設が淘汰されるなか、この場所は別の顔を持ち始める。広大なフラットスペースと適度な天井高、そして観客との濃密な距離感。その特異な空間構造に着目した興行関係者たちの手によって、レーンの横にリングが組まれるという唯一無二の光景が日常化していった。