1990年代後半、いわゆる「ジャニーズJr.黄金期」の熱気の中で、相葉雅紀は独特の存在感を放っていた。元々は「SMAPとバスケットボールがしたい」という無邪気な動機で事務所の門を叩いた彼だったが、同期の二宮和也や松本潤らとともにグループ「MAIN」として頭角を現していく。
当時の彼は、線の細い華奢な体躯と涼しげな目元が印象的な少年だった。しかし、1999年の嵐デビュー直前、彼はハワイでの結成発表に滑り込む形で選出される。本人が後に「パスポートを持っていたから選ばれたかもしれない」と謙遜気味に語ったエピソードは有名だが、その裏には連日ダンスレッスンに明け暮れ、影で牙を研ぎ続けた泥臭い努力があった。