ネット上のレビューやSNSの言及を精査すると、本作についていくつかの根強い誤解やステレオタイプが存在することが見受けられます。
第1の誤解は、「典型的なガールズバンドのサクセスストーリーである」という先入観です。本作にはライバルバンドとの熾烈な抗争も、プロデビューを目指すような野心も一切登場しません。描かれるのは、あくまで高校の文化祭という極めて限定された時空のなかで、たった3曲を演奏するためだけに奔走する日常です。プロット主導の劇的な盛り上がりを期待して鑑賞すると「何も事件が起きない」と感じる読者もいますが、それこそが本作の最大の狙いであり美点です。
第2の誤解は、「単なるノスタルジー消費の音楽映画」という認識です。劇中で鳴らされるブルーハーツの楽曲は、単なる懐メロの引用にとどまりません。元スマッシング・パンプキンズのジェームス・イハが手がけたアコースティックな劇伴サントラと、湯浅学が監修した音響設計が、日本の地方都市の湿潤な空気感を静かに包み込んでいます。青春の眩しさだけでなく、その裏側にある気だるさや退屈、将来への漠然とした不安といったモラトリアムの陰影が冷徹な視線で焼き付けられているのです。
さらに、ロケ地となった群馬県立高崎工業高校の存在も特筆に値します。セット撮影では決して出せない、生徒たちの靴底で擦り切れたリノリウムの床、雨風にさらされたモルタルの壁面、使い古された部室の机といった物質的ディテールが、虚構の物語を「かつて誰もが呼吸したことのある現実」へと昇華させています。