この二つの蕎麦が歩んできた歴史は、江戸の庶民生活と密接に結びついています。まず登場したのは「もりそば」でした。その語源を遡ると、江戸時代初期に庶民の間で親しまれていた蕎麦の食べ方にたどり着きます。
もりそばの語源とぶっかけそばの経緯は、せっかちな江戸っ子の生活習慣から生まれました。当時、蕎麦はつゆにつけて食べるのが主流でしたが、皿に盛られた蕎麦を一口ずつつゆに浸す手間を惜しんだ労働者たちのために、あらかじめつゆを蕎麦の上に直接ぶっかけて提供する「ぶっかけそば」(現在の温かいかけそばの原型)が寛文年間(1660年代)に大流行しました。これに伴い、従来の「つゆにつけて食べる蕎麦」と区別する必要が生じ、器に盛り上げて提供するスタイルから「盛り蕎麦(もりそば)」と呼び分けるようになったのです。
一方、ざるそば発祥の歴史と江戸時代の由来はそれから約100年後の宝暦年間(1750年代)に端を発します。江戸・深川州崎にあった蕎麦屋「伊勢屋」が、他店との差別化を図るために竹ざるに蕎麦を盛って提供したのが始まりとされています。当時の蕎麦屋は激しい競争下にあり、伊勢屋は見た目の涼やかさと高級感を演出するため、食器に竹細工のざるを採用しました。
伊勢屋のざるそばは瞬く間に評判を呼び、江戸中の蕎麦屋が模倣し始めました。ここで重要なのは、当時のざるそばには海苔が乗っていなかった点です。他店が追随する中で、ざるそばを名乗る店は独自の付加価値として「御膳粉(一番粉)」と呼ばれる蕎麦の実の中心部だけを使った白い高級蕎麦を打ち、さらに極上のつけ汁を添えて「もりそば」の約1.5倍から2倍の価格で提供しました。これが現代に続くプレミアム路線としてのざるそばの原点です。