織田信長が焦がれた九十九髪茄子の真相|数奇な運命と現在の価値

織田信長が焦がれた九十九髪茄子の真相|数奇な運命と現在の価値

織田信長が焦がれた九十九髪茄子の真相|数奇な運命と現在の価値の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。

九十九髪茄子の歴史が劇的である所以は、幾度もの壊滅的な戦火を物理的にくぐり抜けてきた点にあります。天正10年(1582年)、本能寺の変によって信長が討たれた際、寺院屋敷は激しい炎に包まれました。信長が手元に置いていた多くの名物が灰燼に帰したと伝えられる中、九十九髪茄子は奇跡的に焼け跡から回収され、やがて天下人となった豊臣秀吉の手に渡ります。

最大の悲劇が訪れたのは慶長20年(1615年)の大坂夏の陣でした。豊臣家が滅亡した大坂城天守の猛火は内部の財宝を容赦なく焼き尽くし、九十九髪茄子も天守落城の熱で木端微塵に粉砕されてしまいました。

落城後、茶器の行方を執念深く追った徳川家康は、焼け跡を捜索させて粉々になった破片を回収させます。家康はこの残骸の修復を、当代随一の塗師・漆工であった藤重藤元(ふじしげ とうげん)・藤厳(とうがん)父子に命じました。

藤重父子は、歪みと焦げの生じた陶片を極細密な技術で接合し、欠損部分を漆で補強した上で、見事な蒔絵を施して器の輪郭を完全に蘇らせました。修復を終えた九十九髪茄子を実見した家康は、その神業のような出来栄えに激しく心を打たれ、「これほどの技を成し遂げた者にこそ相応しい」として、そのまま褒美として藤重家に下賜したと記録されています。破壊によって価値を失うどころか、超絶技巧の漆工技術が加わったことで、九十九髪茄子は「二重の歴史的奇跡」をまとう工芸品へと昇華したのです。

吉田 誠
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吉田 誠

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