2000年5月、朝日新聞朝刊に掲載されたわずか1行の全面広告が音楽業界を震撼させました。「最高のアルバムが出来たので俺達は解散します」。ラスト・オリジナルアルバム『HARLEM JETS』のリリース告知とともに突きつけられたこの一文こそが、BLANKEY JET CITY解散理由のすべてを物語っています。商業的なセールスがピークを迎え、東京ドーム規模の動員力を持つに至ったロックバンドが、自ら退路を断って幕を引いた瞬間でした。
当時の報道や音楽誌のロングインタビューにおいて、中村達也は「もうこれ以上、3人で突き詰められる場所がないところまで行ってしまった」という趣旨の発言を残しています。ベースの照井利幸、ギター&ボーカルの浅井健一、そしてドラムの中村達也。互いの個性が極限まで研ぎ澄まされ、スタジオ内で音をぶつけ合うこと自体が命を削るような緊張感を孕んでいました。ネット上で長年囁かれた「メンバー間の不仲による空中分解」という噂は短絡的な見方に過ぎません。実際には、3人のクリエイティビティが臨界点を超え、摩擦係数が高まりすぎた結果、バンドというひとつの生命体を維持することが物理的・精神的に不可能になったというのが記録から浮かび上がる真相です。
その壮絶な終止符となったのが、2000年7月8日・9日の2日間にわたって横浜アリーナで開催されたラストライブ「LAST DANCE」でした。中村達也は上半身裸で激痛を伴うかのような凄まじいドラミングを披露し、スネアやシンバルを叩き割らんばかりの気迫で空間を支配しました。アンコール最後、浅井健一が「Baby Baby」を歌い上げ、スティックを放り投げた中村達也の表情には、すべてを出し尽くした者だけが漂わせる静謐な充足感が浮かんでいました。この2日間のステージは、今なお日本のロック史における最高峰のライブパフォーマンスとして語り継がれています。