東京から上越新幹線で約90分、越後湯沢の先にある新潟県南魚沼市浦佐。なぜ首都圏や大都市圏ではなく、日本有数の豪雪地帯に日本初の大学院大学が誕生したのでしょうか。そこには昭和の財界トップたちが描いた明確な国家構想がありました。
1970年代後半、高度経済成長を遂げた日本は国際摩擦に直面し、世界と対等に渡り合える「真のグローバルリーダー」の育成が急務となっていました。そこで立ち上がったのが、日本興業銀行の中興の祖である中山素平氏、経団連会長の土光敏夫氏、そして松下電器産業の創業者である松下幸之助氏らをはじめとする財界のリーダーたちでした。経済同友会や経団連の全面的な後援を受け、莫大な寄付と情熱によって1982年に開学したのが国際大学です。
創設者たちがキャンパスの地に南魚沼を選んだ理由は、「俗世の喧騒を完全に遮断し、寝食を共にして学問に没頭するリサーチ・ビレッジ(学術村)」を具現化するためでした。アメリカの名門大学であるダートマス大学やコーネル大学が自然豊かな環境で学生同士の深い結束を生み出しているように、全寮制(オンキャンパス・ドミトリー)による「完全没入(イマージョン)環境」を創り出すことが狙いだったのです。雪深い冬の厳しい寒さのなか、多国籍の学友と暖炉やカフェテリアで夜を徹して議論を交わす生活は、生涯にわたる揺るぎない信頼関係を醸成する装置として機能しています。