野村氏の指導者としての真価は、選手個々の特性を見抜き、適材適所で才能を開花させる「選手再生」にありました。その最高傑作として球史に刻まれているのが、古田敦也との師弟関係です。
1989年のドラフト会議で立命館大学・トヨタ自動車を経てヤクルトに入団した古田氏は、当時「眼鏡をかけた捕手は大成しない」という球界の根強い偏見にさらされていました。しかし野村監督は、古田氏の知性と強肩を即座に見抜き、連日ミーティング室に缶詰めにして配球論と観察眼を徹底的に叩き込みました。のちに古田氏が語った「ノムさんの教えがあったからこそ、打者の心理が手にとるように読めるようになった」という証言は、1990年代のヤクルトスワローズ黄金期を支えたID野球の完成形を如実に示しています。
一方、1999年から率いた阪神タイガース時代に光を当てたのが、類まれな身体能力を持ちながら型破りなプレイスタイルで周囲を驚かせていた新庄剛志との関係性です。野村監督は新庄氏の感覚的な野球センスを否定することなく、敬遠球サヨナラ安打を演出し、一時は「投手挑戦(二刀流)」を打診するなど、そのポテンシャルを極限まで引き出そうと試みました。
のちに北海道日本ハムファイターズの監督となった新庄氏が、ベンチで野村氏の直筆ノートを大切に携え、「ボス(野村氏)の考え方を今でも参考にしている」と公言している事実は、ノムさんの指導がいかに柔軟で、選手の個性を尊重したものであったかを物語っています。