かつてプロ野球のグラウンドで「ジャイアン」の愛称とともに親しまれ、相手投手を恐怖に陥れた山崎武司。しかし、その輝かしい経歴の裏には、幾度となく直面した「クビ宣告」の危機と、それを跳ね返した泥臭い執念が存在する。
高卒で入団した当初は捕手だった。だが、持ち前の強打を生かすために外野手、そして一塁手へと転向。試行錯誤を繰り返しながらも、1996年には39本塁打を放ち、念願の最多本塁打王を獲得する。愛知工業大学名電高等学校時代から培われた圧倒的なスイングスピードと長打力は、瞬く間に日本中の野球ファンを虜にした。しかし、栄光の次はいつも試練が待っていた。打撃不振や故障、監督との方針の違いにより、ベンチを温める日が増えていく。
30代半ばを迎え、オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)を経て、一度は誰もが「山崎の限界」を確信した。戦力外通告の陰影がチラつくなか、彼の野球人生は思わぬ方向へと大きく舵を切ることになる。