現在でこそ極めて友好的な日豪関係ですが、その歴史的背景には深刻な対立と葛藤の時代がありました。第二次世界大戦中、旧日本軍はオーストラリア北部のダーウィンを空襲し、ニューギニア戦線などで両国軍は激しい死闘を繰り広げました。また、豪州本土のカウラ捕虜収容所における集団脱走事件など、戦中・戦後直後の豪州社会には強い対日警戒感と反日感情が根強く残っていました。
この深い溝を埋める転換点となったのが、1957年に締結された「日豪通商協定」です。当時の岸信介首相とマキュアン豪副首相兼貿易相の決断により結ばれたこの協定は、戦争終結からわずか12年という短期間で相互の最恵国待遇を認め、経済補完関係を切り拓く起点となりました。
豪州側の寛容な和解の精神と、経済復興を果たす日本の誠実な対話が積み重なり、1976年には包括的な枠組みである「日豪友好協力基本条約(奈良条約)」が締結されます。過去の悲劇を風化させることなく、カウラの日本人墓地や日本庭園の整備などを通じて相互理解を深め続けた草の根の努力こそが、今日の強固な信頼関係を支える土台となっています。