タレントとして全国区の知名度と十分なレギュラーを抱えていた山崎邦正が、なぜ落語という厳格な徒弟制度の世界へ飛び込んだのか。その根底には、30代後半に直面した深刻な「芸人としての実存的危機」がありました。
当時の特番インタビューや自著『僕が落語家になった理由』で語られた本人の告白によると、ダウンタウンという圧倒的な天才たちの下で「怒られ役」「スベリ芸」を演じ続ける日々のなかで、ふと「自分には一生を賭けて誇れる芸が何もない」「このまま50代、60代になったとき、誰が自分を必要としてくれるのか」という底知れぬ恐怖に襲われたといいます。消費されるバラエティのサイクルに対する強烈な違和感でした。
そんな出口の見えない暗闇にいた彼に転機をもたらしたのが、先輩芸人である東野幸治からの「古典落語を聴いてみたらどうや」という何気ない一言でした。半信半疑で聴いた名匠・桂枝雀の『あたま山』に衝撃を受け、涙が止まらなくなるほどの感動を覚えた方正は、貪り急ぐように落語の世界へ没入していきます。
その後、知人を介して落語界の重鎮である月亭八方に弟子入りを懇願。八方は当初、「テレビの人気者が気まぐれで続くわけがない」と難色を示したものの、方正の尋常ではない熱意と愚直な姿勢に心を打たれ、2008年に入門を許可しました。そして2013年元日、45歳を迎える節目の年に、長年親しまれた「山崎邦正」の名を完全に捨て、高座名である「月亭方正」一本で生きていくことを公に宣言したのです。それは、退路を断って伝統芸能に骨を埋める覚悟の表れでした。