1986年4月8日午前、東京都港区南青山の自宅マンションでガス自殺未遂および手首を切傷した岡田有希子さんは、救急搬送先の病院で手当を受けました。その後、身元引受人となった所属事務所・サンミュージックの専務(当時)に付き添われ、四谷にあった事務所ビルへと移動します。
事務所役員が今後の対応を協議していたわずかな隙に、彼女は姿を消しました。エレベーターで屋上へと上がり、そのまま飛び降りて命を絶つという岡田有希子の死因・経緯は、日本中を瞬時に駆け巡る大ニュースとなったのです。当時の報道関係者の証言によると、現場となった四谷のビル周辺には瞬く間に数十台のカメラと大勢のファン、野次馬が殺到し、現場は異様な熱気に包まれました。
アイドルとして頂点を極めながら、なぜ彼女はサンミュージック屋上という象徴的な場所を選んだのか。当時の関係者が語る岡田有希子の最後の様子では、極度の情緒不安定と孤独感、そして多忙を極めるトップアイドル特有の精神的孤立が重なっていたことが指摘されています。