「子宮 恋愛」というキーワードが日本社会において特異な文脈を帯びる契機となったのが、2010年代半ばに吹き荒れた「子宮系スピリチュアル」ブームです。その震源地にいたのが、自らの風俗勤務経験や奔放な男性遍歴を赤裸々に開示し、「子宮委員長はる」を名乗った女性インフルエンサーでした。
彼女が提唱した「子宮メソッド」の骨子は、極めてシンプルかつ刺激的でした。「頭(理性や世間体)で考えるのをやめ、子宮(本能や快楽)の欲望に従って生きれば、男も金も引き寄せられる」というメッセージは、良妻賢母の規範や過酷な就労環境に疲弊していた20〜40代女性の心に急速に浸透しました。当時の著書やブログでは、「嫌な家事はやめる」「夫以外の男性と寝たいなら子宮の声に従う」といったタブー破りの言葉が並び、熱狂的なフォロワーを生み出しました。
しかし、その絶頂期は長くは続きませんでした。高額なオンラインサロンや「子宮を温める」と銘打たれた布ナプキン、バスソルト、メモリーオイルなどの関連グッズビジネスに対し、消費者団体やネットウォッチャーから激しい批判が集中。「信者を搾取して豪奢な生活を送っている」という疑念が膨らみ、メディアの論調も急速に冷え込みました。
その後、彼女は「八木さや」、さらに再婚を経て「吉野さやか」へと名義を改め、長崎県壱岐島へ移住。活動形態も「子宮系」という露骨な看板から、地方創生やクラフトビジネス、融資・クラウドファンディングを活用した独自の「自分ビジネス」へと看板を掛け替えて存続しています。かつて熱狂した信者層の中には、借金を背負って生活困窮に陥った者、離婚して孤立した者も少なくありません。ブームのピークを過ぎた今もなお、看板を変えながら形骸化したコミュニティがネットの深層に根を張っているのが実態です。