日本人の間で「九份=映画『千と千尋の神隠し』のモデル地」という言説は、もはや定説のように語り継がれてきました。赤提灯が連なる急峻な石段や、象徴的な木造建築「阿妹茶樓(あめおちゃ)」の佇まいが、作中に登場する油屋周辺の歓楽街に酷似しているためです。しかし、この言説の真偽を巡る調査では、極めて明確な事実が存在します。
スタジオジブリの宮崎駿監督自身が、台湾メディアの公式インタビューにおいて「九份をモデルにした事実はない」と明確に否定しています。また、スタジオジブリの公式発表や歴代のメイキング資料においても、主な着想源として挙げられているのは愛媛県の道後温泉本館や東京都江戸東京建物園、目黒雅叙園など日本国内の歴史的建造物です。
では、なぜこれほど強固な「モデル地神話」が定着したのでしょうか。背景には、2000年代初頭の台湾観光キャンペーンとインターネット黎明期の口コミ拡散が複合的に作用した歴史的経緯があります。もともと九份は、19世紀末の清朝末期に金鉱が発見されて栄え、昭和初期の日本統治時代にゴールドラッシュの最盛期を迎えた鉱山町でした。1970年代の閉山後に一度は衰退したものの、1989年の台湾映画『悲情城市』(ホウ・シャオシェン監督、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞)のロケ地となったことで脚光を浴び、レトロな観光地として再生を遂げました。
「千と千尋モデルの真相」を知った旅行者の中には一時的な肩透かし感を覚える人もいますが、現地を訪れた多くの人が「アニメのモデル云々を抜きにしても、九份独自の歴史が生んだ哀愁と景観美は唯一無二」と評価しています。虚構の物語に頼るまでもなく、九份が持つ本物の歴史的重みこそが旅人を魅了し続ける原動力です。