政治・経済が激動を極める裏側で、庶民のライフスタイルは爆発的な近代化を遂げました。明治期が「欧米へのキャッチアップ」という国家主導の文明開化であったのに対し、大正期は「個人の自由と生活の豊かさ」を志向する民衆発祥の文化が花開いた時代です。この特有の和洋折衷文化を、文学者・高浜虚子は「大正浪漫(大正ロマン)」と呼びました。
都市型消費社会と「モボ・モガ」の闊歩
大戦景気の余波を受けて都市部にはホワイトカラー層(サラリーマン)が誕生し、中間層を中心とした消費生活が形成されました。銀座の目抜き通りには百貨店が威容を誇り、資生堂パーラーやカフェでコーヒーを嗜みながら談笑する若者たち――いわゆるモダンボーイ(モボ)、モダンガール(モガ)が時代の最先端を走ります。
竹久夢二が描いた憂いを帯びた美人画や抒情詩は、当時の少女たちのバイブルとなり、浅草では「浅草オペラ」が大衆の人気を一身に集めました。蓄音機から流れる流行歌、ラジオ放送の開始(大正14年・1925年)、『赤い鳥』に代表される児童文学の黎明など、現在私たちが親しんでいる日本のポピュラー文化の原型はこの時代にほぼ出揃っています。
光の裏にある影:震災恐慌と忍び寄る軍靴の足音
しかし、大正ロマンが放つ華やかな光の背後には、常に破滅的な不安の影が寄り添っていました。1923年(大正12年)の関東大震災は、東京の市街地の4割以上を灰燼に帰し、首都の金融機能を麻痺させました。震災手形の処理をめぐる金融不安は、後の昭和金融恐慌(昭和2年)の直接的な引き金となります。
さらに、大正デモクラシーの到達点とされた普通選挙法の裏側で、思想統制を目的とした治安維持法が同時に成立した事実は極めて示唆的です。自由と熱気にあふれた社会の底流で、すでに昭和初期のファシズムと戦争へ至るレールが密かに敷かれ始めていました。