更科そばの歴史は、江戸時代中期の寛政3年(1791年)に遡ります。開祖は信州の織物商人であった布屋太兵衛(ぬのやたへえ)です。太兵衛は、領主であった会津藩主・保科正容公からの「信州蕎麦の技術を活かし、江戸で蕎麦屋を開くべし」という勧めを受け、麻布日ヶ窪(現在の港区麻布十番周辺)に店を構えました。
屋号の「更科」という名は、信州随一の蕎麦の産地であった「更級(さらしな)」の地名と、恩義ある保科公の「科」の一字を賜って名付けられたと伝えられています。創業当初から大名屋敷や宮家、幕府要人に愛顧され、御用達としての地位を築き上げました。
明治から大正、昭和の動乱期を経て暖簾は分派し、現在その直系として有名なのが、東京・麻布十番に拠点を置く以下の名店です。
- 総本家更科堀井:布屋太兵衛の創業の血統を正統に継承し、8代にわたり伝統の一番粉打ちを守り続ける総本山。
- 麻布永坂更科本店:伝統の御前そばを守りつつ、麻布十番の地で独自のエレガントな蕎麦文化を磨き続ける名老舗。
- 永坂更科布屋太兵衛:全国の百貨店などにも展開し、伝統の「からつゆ」「あまつゆ」の二色つゆ文化を広く浸透させた功労者。
また、純白の一番粉は色や香りが移りやすいため、職人の創意工夫によって「変わり蕎麦」が誕生しました。春には桜の花びら、初夏には青紫蘇、秋には菊や柚子を打ち込み、四季折々の色彩を表現する技術は、更科の歴史が生んだ無二の伝統美です。