日本列島には、富士山や知床、屋久島など、雄大で峻険な大自然が数多く存在します。それにもかかわらず、なぜ江戸時代の人々は「松島・天橋立・宮島」を卓越した景観として選び出したのでしょうか。
その歴史的発端は、江戸時代前期の寛永20年(1643年)、儒学者である林春斎(はやししゅんさい)が記した地理書『日本国事跡考』にあります。春斎は全国各地を巡歴した経験から、「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観となす」と記しました。これが現在に続く選定の起源です。
選出された最大の共通点は、「海の青と松の緑、そして人間の美意識が織りなす調和」にあります。当時の日本文化において、人を寄せ付けない険しい山岳や原生林は信仰や畏怖の対象(他界)であり、鑑賞して愛でる「風景」とは見なされていませんでした。一方、穏やかな内海に浮かぶ島々や白砂青松、海辺に建てられた瀟洒な社殿は、平安貴族の和歌や室町水墨画の美意識に通じる「箱庭的な理想郷」として認識されたのです。
さらに、歴史上の有力者や文化人によるプロモーションも見逃せません。松島は仙台藩主・伊達政宗が保護し、松尾芭蕉が『おくのほそ道』で熱望した地。宮島は平清盛が威信をかけて造営した信仰の聖地。天橋立は小式部内侍の百人一首や雪舟の国宝『天橋立図』で描かれた憧れの地でした。卓越した自然地形に文芸と歴史の文脈が幾重にも重なったことこそが、今日まで揺るぎない地位を保ち続けている本質的な理由です。