明治維新期、日本の主要な外貨獲得源は生糸でした。しかし、当時の養蚕は蚕の病気(微粒子病や軟奈病など)が多発し、収量が天候に左右される極めて不安定な産業でした。この構造的課題を打破したのが、幕末から明治にかけて活躍した田島弥平(1822〜1898年)の功績です。
田島弥平は、蚕を育てる上で「温度の維持」よりも「自然通風と空気の清浄化」が重要であることを見出し、1860年代に画期的な養蚕技術体系である「清涼育」を完成させました。弥平は自身の知見を独占せず、1872年(明治5年)に『養蚕新論』、1879年(明治12年)に『続養蚕新論』という技術書として出版。挿絵を交えた分かりやすい解説により、この飼育法は瞬く間に全国の養蚕農家へ普及していきました。
2014年にユネスコ世界文化遺産へ登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、富岡製糸場単体ではなく、「原料生産の革新(田島弥平旧宅・高山社跡)」「蚕種保存(荒船風穴)」「製糸技術(富岡製糸場)」という一連の絹産業システム全体が評価されたものです。田島家養蚕展示館は、この「高品質な繭の大量生産を可能にした原動力」の真実を体系的に学べる中核的な役割を担っています。