なぜ太宰治は、これほどまでに「友人を身代わりにして走る男」の物語をリアルに描くことができたのでしょうか。そこには、教科書や児童書では絶対に解説されない、太宰自身の恥ずべき実体験という太宰治 執筆背景が存在します。
1936年(昭和11年)秋、太宰治は熱海の温泉宿に滞在して執筆活動を行っていましたが、毎晩のように芸者遊びに興じた結果、膨大な宿泊費と飲食代の借金を作って宿から出られなくなってしまいました。困り果てた太宰は、東京にいた親友の作家・檀一雄を熱海に呼び出します。
檀一雄が自著『小説 太宰治』で克明に振り返った当時の記録によると、太宰は檀に対して「東京にいる先輩作家の井伏鱒二のところへ行って金を借りてくる。君を宿に人質として置いていくが、すぐに金を工面して戻るから待っていてくれ」と言い残し、熱海を後にしました。
ところが、数日待っても太宰は一向に戻ってきません。宿からの請求とプレッシャーに耐えかねた檀一雄は、宿の主人をなんとか説得して東京へ戻り、井伏鱒二の自宅へ向かいました。そこで檀が目撃したのは、なんと井伏と二人で呑気に将棋を指している太宰治の姿でした。
激怒した檀一雄が「一体どういうことだ!」と詰め寄った際、太宰は沈痛な表情を浮かべながら、日本文学史に残る次の一言を放ちました。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
このあまりにも身勝手で情けない実体験に対する後悔と自己嫌悪、そして見捨てずに許してくれた親友への贖罪の思いが、後に古代ギリシャの伝説(シラーの詩『人質』)と融合し、不朽の名作『走れメロス』へと昇華されたのです。