過度な自粛は表現を萎縮させるのではないか――。この問いは、制作者たちを常に悩ませ続けている。過剰な自主規制が進んだ結果、文学作品の朗読や古典芸能の放送において、作品本来の持つ芸術性や意図が損なわれるという弊害も指摘されている。
特に差別用語とされる単語の扱いには、極めて慎重な判断が必要となる。過去の不適切な言説を歴史的資料としてそのまま放送すべきか、それとも現代の基準で修正・カットすべきか。現場では、憲法で保全された表現の自由を守り抜く姿勢と、視聴者に対する倫理的配慮との間で、日々血の滲むような議論が繰り広げられている。