関東で「たぬき」の主役である天かすが、なぜ大阪では「たぬき」を名乗れず、あまつさえ独立した高級メニューになり得なかったのか。そこには大阪うどんの出汁文化と、上方商人の価値観が深く関係しています。
明治26年(1893年)、大阪・南船場の「うさみ亭マツバヤ」の初代・宇佐美要太郎氏が、別皿で提供していた甘辛い油揚げを客がうどんに乗せて食べたことから大阪のきつねうどんが発祥しました。昆布と削り節から丁寧に引いた上品な出汁と、ふっくら煮含めた油揚げの甘みが合わさる至高の一杯は、瞬く間に浪速の町で大ヒットを記録します。
一方、蕎麦屋で天ぷらを揚げる際に出る「天かす」は、関西では本来「捨ててしまう副産物(揚げかす)」という認識が根強くありました。商人の街・大阪において、捨てるはずの天かすを乗せて代金を取る関東のスタイルに対し、「天ぷらのタネ(具)が入っていない『タネ抜き』をありがたがって食べるなんて、関東の人間はハイカラ(気取り屋)やな」という痛烈な皮肉を込めてハイカラうどんと名付けられたと言われています。
出汁の純度と香りを何よりも尊ぶ大阪うどんにおいて、油分が多く出汁を濁らせる天かすは、本来はお金を払って食べる主役ではなく、卓上に置かれて「入れ放題の無料サービス」として扱われることが一般的でした。「タネがない偽物」という意味でたぬきと呼ぶ関東に対し、大阪では「きつね(うどん)が蕎麦に化けた」からこそ「たぬき(蕎麦)」と呼ぶようになったという、洒落っ気と合理性が生み出した文化の違いです。