インターネット上の検索窓に「林家こぶ平」と打ち込むと、「テレビ 出ない理由」「消えた」「下手」といった心ない関連ワードが散見されます。しかし、これらの言説は高座の実態を知らない層による皮相的な誤解に過ぎません。
襲名直後の2000年代後半、正蔵に対して一部の落語評論家やネットユーザーから厳しい声が上がったのは事実です。それは先代の八代目彦六師匠があまりに偉大な古典の名手であったため、バラエティの印象が強かったこぶ平が看板を継ぐことへの反発でした。当時、正蔵自身もインタビューや手記において、「毎晩のように重圧で眠れず、祖父や先代の幻影と戦い続けていた」と胸中を吐露しています。
しかし、彼は逃げ出しませんでした。テレビ出演の依頼を大幅に絞り込み、五街道雲助師匠をはじめとする諸先輩の元へ足繁く通って稽古を重ねました。その結果、持ちネタは飛躍的に増加し、かつての軽妙な語り口に加え、人間の業や哀愁をしみじみと描く『しじみ売り』や、芸道に命をかける役者の執念を描く大ネタ『中村仲蔵』において、客席の涙を誘うほどの圧倒的な説得力を獲得したのです。
現在、鈴本演芸場などの寄席に足を運ぶ観客や熱心な落語ファンの間では、「正蔵の高座は明るさと情緒のバランスが抜群である」「いま一番安心して聴ける寄席の主任」という評価が完全に定着しています。「テレビに出ない」のではなく、「定席の寄席という、生身の芸が試される最も過酷な現場を選び取った」というのが偽らざる真相です。