世間一般で広く信じられている「全国から神様がいなくなる月だから神無月」という説。実は国語学・言語学の領域において、これは明確に「語源俗解(ごげんぞっかい:後世の人々が漢字の字面から勝手にこじつけた民俗的俗説)」であると位置づけられています。
本当の語源を解き明かす鍵は、6月の「水無月(みなづき)」と同じ構造にあります。水無月は「水が無い月」ではなく、田んぼに水を引く大切な時期を指す「水の月」を意味します。日本語の古語において、「な」という音は「〜の」を意味する連体助詞でした。
つまり、神無月(かみなづき/かむなづき)の本来の意味は、「神の月」に他なりません。旧暦10月は、その年に収穫されたばかりの新米で酒を醸し、収穫の恵みを八百万の神々に捧げて感謝する収穫祭(新嘗祭など)の時期でした。神を祀り、祈りを捧げる最も神聖な月だからこそ「神の月」と呼ばれ、そこに当て字として「神無月」という漢字が充てられたのが言語学的な事実です。
では、なぜ「神が不在になる」というドラマチックな解釈が日本中に広まったのでしょうか。その発端は平安時代末期から中世にかけて成立した『奥儀抄』などの注釈書や、御師(おし)と呼ばれる宗教伝道者たちの語り口にありました。「全国の神様が出雲に集まるため、各地には神様がいないのだ」というストーリーは非常に分かりやすく、庶民の想像力を大いに刺激しました。結果として、本来の「神の月」という意味が忘れ去られ、俗解のほうが公式のイメージを塗り替えてしまったのです。