「宗家問題」や「能楽協会除名」という単語だけが独り歩きし、ネット上では「和泉家は偽物の狂言師なのではないか」という極端な誤解が散見される。しかし、事実は芸能組織の規律と商業活動をめぐる権力闘争であった。
発端は1995年、十九世宗家・和泉元秀が急逝した際、当時21歳だった元彌が二十世宗家を継承したことにある。能楽協会の主流派や和泉流職分会(野村万作ら)は「宗家継承は一門の合意が必要」と主張したのに対し、節子らは「血脈と遺言による正当な継承」を主張した。
さらに、2002年のダブルブッキング問題やヘリコプター移動による劇場入りなど、過密な芸能活動が能楽協会の規約違反とみなされ、除名処分へと発展した。法廷闘争では宗家名乗りに関する請求などが退けられたものの、狂言という実演芸術そのものの技能や上演権が否定されたわけではない。和泉家は能楽協会の枠組みを離れ、「和泉宗家」として独立採算の自主興行を確立する道を選択したというのが真相である。