篠原信一の名を語る上で避けて通れないのが、2000年シドニー五輪・男子100kg超級決勝におけるフランスの英雄、ダビド・ドゥエとの一戦です。この試合で起きた出来事は、四半世紀以上が経過した現在でも「五輪史上最大の判定トラブル」として語り継がれています。
試合開始1分30秒過ぎ、ドゥエが篠原に対して強烈な内股を仕掛けました。篠原はその力を完璧に見切り、空中で体をかわしながら鮮やかに相手を畳へ叩きつける「内股すかし」を炸裂させます。ドゥエは背中から完全に畳に落ちており、本来であれば篠原の「一本勝ち」で金メダルが確定するはずの決定打でした。
ところが、主審を務めたクレイグ審判員(ニュージーランド)はドゥエの「有効」を宣告。副審の1人は篠原の「一本」を支持したものの、もう1人の副審が主審を支持したため、まさかの判定が下されました。日本ベンチの猛抗議も覆らず、そのまま試合が再開され、結果として篠原は銀メダルに終わったのです。
世界中のメディアが「世紀の誤審」と猛批判を展開し、日本国内が怒りに沸き返る中、表彰式後の記者会見で篠原が発した言葉は日本国民の胸を強く打ちました。
「判定について自分が言うことは何もない。審判もドゥエも悪くない。全ては一本を取れなかった自分が弱かったから。」
この潔い名言は、勝敗を超えた武道精神の極致として世界中で称賛されました。後に国際柔道連盟(IJF)も判定の誤りを実質的に認め、ジュリー(審判員監督)制度の導入やビデオ判定の導入へと舵を切る直接の契機となったのです。