生田悦子さんの芸能生活を振り返ると、そのキャリアは「昭和から平成における女優の変革期」を象徴するものでした。 福岡県福岡市に生まれた生田さんは、1963年に雑誌『平凡』が主催した「準ミス平凡」に選出されたことをきっかけに上京。日本人離れした抜群のプロポーションと洗練された美貌で、まずはトップファッションモデルとして頭角を現しました。その後、1966年に松竹へ入社し、映画『おはなはん』などで銀幕デビューを飾ります。 若い頃の生田さんは、クールで怜悧な美貌を持つ正統派女優として数々の映画やドラマで活躍しました。その真骨頂となったのが、1978年にフジテレビ系列で放送された田宮二郎主演のドラマ『白い巨塔』です。生田さんが演じたのは、野心に燃える主人公・財前五郎の妻・杏子役でした。 * 冷徹なブルジョワジーの妻:医学界の権力闘争に突き進む夫をどこか冷淡に見つめつつ、自身のステータスを守るためドライに割り切る良家の令嬢を完璧に体現。 * 鬼気迫る演技合戦:主演の田宮二郎、愛人・花森ケイ子役の太地喜和子ら昭和の名優たちと対峙し、視聴者に強烈な爪痕を残しました。 しかし、生田さんのキャリアの凄みは、ここで築き上げた「クールな高嶺の花」というパブリックイメージを、自ら鮮やかに打ち破った点にあります。それが1981年にスタートした萩本欽一司会の伝説的バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』へのレギュラー出演でした。 番組内の名物コーナー「良い妻・悪い妻・普通の妻」において、生田さんは「良い妻」役を担当。「ハイッ!」と満面の笑みで甲高い声を上げ、完璧すぎる良妻を演じる姿は、それまでのシリアスな大女優のイメージとの凄まじいギャップを生み出し、瞬く間に国民的な人気を獲得しました。昭和のドラマ界において、正統派シリアス女優が本格的なコントやお笑い番組に挑戦し、爆発的なブレイクを果たすという道筋を切り拓いたパイオニアこそが生田さんだったのです。
生田悦子の急逝と波乱の生涯|『白い巨塔』から熟年婚、最期の日々
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