ネット上や週刊誌で長年囁かれてきたのが、河合雪之丞の歌舞伎退団理由に関する憶測です。「澤瀉屋内部での不仲ではないか」「居場所を失ったのではないか」といった噂が飛び交いましたが、関係者への綿密な取材と本人の証言を照らし合わせると、実態は全く異なります。そこにあったのは、師匠である三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)の教えを極限まで全うしようとした役者としての矜持でした。
河合雪之丞は歌舞伎の家に生まれた世襲俳優ではありません。一般家庭出身でありながら、1988年3月に国立劇場第9期歌舞伎俳優研修を修了後、三代目猿之助にその類まれな資質を見出されて弟子入りしました。1994年には名題昇進を果たし、「二代目市川春猿」を襲名。スーパー歌舞伎などで主役級の女方を務め、澤瀉屋の飛躍を最前線で牽引してきました。
しかし、歌舞伎界には厳然たる「家制度」と「世襲の壁」が存在します。どれほど実力と人気を兼ね備えていても、大劇場の本興行で古典の主役を張り続けることには目に見えない制約がつきまといました。一方、劇団新派は明治期に歌舞伎から派生し、女性俳優と女方が同じ舞台で共存する稀有な劇団です。新派の名女方であった初代河合武雄の芸系、そして新派の舞台にも情熱を注いだ師・猿翁の歴史的文脈を受け継ぐ形での移籍は、逃避ではなく「女方として生涯主役を演じ続けるための攻めの決断」だったのです。
「春猿」という師から授かった愛着ある名前を返上し、猿翁の祖母の旧姓ゆかりの「河合」と、師の当たり役から取った「雪之丞」を名乗ったことこそ、師弟の絆が決して切れていない証左と言えます。