ドラマの人気が高まるにつれ、ネット上では史実と演出の混同による誤解も散見されました。本稿では、当時の取材記録と古関裕而氏の自著・手記に基づき、代表的な3つの誤解を正します。
誤解1:古関裕而はドラマのように長期間スランプで曲が書けなかったのか?
劇中の裕一はコロンブスレコード専属契約後、何十曲もボツを出して絶望の淵に立たされます。しかし史実の古関裕而氏は、上京直後から驚異的なスピードで作編曲をこなしており、西洋近代音楽の高度な書法を熟知していたため、劇伴音楽や舞踊音楽の分野では即座に重用されていました。大衆歌謡曲のヒットが出るまでに一定の時間を要したことは事実ですが、音楽家としての評価が最初から低かったわけではありません。
誤解2:妻の金子(音)は歌の夢を完全に諦めて家庭に入ったのか?
劇中では子育てや裕一のサポートのために声楽学校を中退し、プロの舞台から退く苦渋の決断が描かれました。しかし史実の金子氏は、結婚後も帝国音楽学校で本格的な声楽の研鑽を続け、声楽家として数々の舞台やラジオ番組に出演しています。夫のマネージャー役に徹しただけでなく、自身も生涯にわたって高い芸術性を追求し続けた自立した女性でした。
誤解3:小山田耕三(山田耕筰)は古山裕一の足を引っ張ろうとしていたのか?
劇中では小山田が裕一の才能を危険視し、レコード会社で冷遇するような陰影のある描写がなされました。しかし現実の山田耕筰氏は、古関裕而氏の才能を純粋に高く評価しており、コロムビアレコードの専属顧問として古関氏を正式に推薦・入社させた大恩人です。ドラマにおける対立軸は、主人公が乗り越えるべき「巨大な壁」としての劇的演出でした。